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自分が後悔のないようにやることが正解。
今だからこそ、今じゃないとできない半年間。

森 陽香

Haruka Mori

帯広緑陽高校2年​(2023年当時)

​愛称:ハルカ

Q:Ezofrogsでは、どのようなことに取り組みましたか?

「一緒にisyo!!」というサービスを考えました。当初は、教育問題に興味を持った中で、教員の労働問題にフォーカスを当てていました。ただ調べていくうちに、労働問題の課題に取り組むハードルの高さを感じて。また自分がどうして教育に興味を持ったのかを深堀りしていく中で、自分は教員に何かを提供したいのではなくて高校生が悩んでいることを解決したいのだ、と思ったんです。実際に自分も進路を考えるタイミングで。とても大切な時間のはずなのに、学校で進路について考える時間はだらけてしまっているなと。実際、誰にどう相談したらよいかわからないという気持ちを、周囲の友人も抱いていました。
進路=自分の人生設計でもあると考えた時、遺書を書いて、こういう自分で世を去りたい、というゴールから、今自分が何をすべきなのかを考えられたら、という思いでこのサービスを考えました。

Q:どうしてEzofrogsを知ったのですか?

Ezofrogs1期生である明日見和佳さんの影響で、知りました。

Q:参加を決めた理由は?

明日見さん(Ezofrogs1期生)に憧れて、というのが大きな理由でした。特に、自分の考え・軸をしっかりと持っているところに憧れています。

Q:活動の中で大変だったことは?

活動の半ば10月くらいから、「自分で考える」シーンが増え、その時が大変でした。最初は座学の研修も多く、メンターへ相談しても比較的具体的なアドバイスをもらえていたのですが、最終発表会が近づくにつれ、メンターたちも「自分が好きなことをやりなよ」というスタンスになっていったんです(笑)。サービス検討を一人で進めていたこともあり、なんだか自分だけ、取り残された気持ちでした。
メンターごとにみな意見が違う中でも最後には必ず「自分がやりたいようにやりな」と言われるんです。正解はどこにもなくて、結局は、自分が後悔のないようにやるのだけが正解なのだと思い、向き合うのはとても大変でした。

Q:どうやって乗り越えたのですか?

全国各地のメンターにメンタリングをお願いして、壁打ちをしてもらいながら乗り越えました。ときにはメンターではなく選抜生の意見も聞いてみることで、バランスをとっていたように思います。選抜生同士で励ましあったりしながら。
最後は、自分が本気でこの課題を解決したいと思えていたから、続けられたのだと思います。正直、教育の現場のリアルを知る中で、くじけそうになったこともありました。でも活動を通じて教育の事業に携わる大人と出会えた中で、「教員」という仕事だけが教育に携わる手段ではないと思ったし、自分の視野が広がりました。

Q:参加してみて、どんな変化を感じていますか?

「やらない」という選択肢を取ってもいいんだなと、思えるようになったことです。
Ezofrogsのスローガンとして「やるか、やらないか」がありますが、私はもともと真面目な性格で「やるか、やらないか」なら「やる」しかない、と思っていたんです。でも、活動の中で、「やる」選択をしたのにベストを尽くせない自分にイライラしたり、悩むことがありました。すべて「やる」を選択してしまうと、いざというときにベストで臨めないこともある、ベストを尽くせないなら、「やらない」を選択することも大切なのかなと思うようになりました。
「やる」ことにはもちろん意味があるけど、「やらない」ことにも意味はある、と思えるようになったことが、大きな変化でした。

Q:参加を悩んでいる人にひとこと、お願いします!

frogsへの挑戦が、自分にとってやりたいことならやる、を選択したらよいと思います。今すでにやっていることが別にあって、それが大切なら、そっちを優先するのも良いと思う。
私は参加してよかったです。高校2年生で参加したのもよかった。今だからこそ、今じゃないとできないことを半年間、全力100%で臨めたと思っています。

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